インタビュー
2023年4月23日

犬と暮らすこと。それはとてもかけがえのないもの。

暮らしの数だけ、それぞれの物語がある。その犬と人の物語にひとつひとつ触れていくことで、「犬と暮らすこと」について何か見えてくるかもしれない。そんな思いから連載「犬と○○」をスタートしました。

第2回は、大人気番組『世界ふしぎ発見』にてミステリーハンターとして活躍されている動物作家・昆虫研究家の篠原さんに、「犬と冒険」をテーマにエッセイを寄稿いただきました。

篠原かをりさん プロフィール

動物作家。昆虫研究家(専門:昆虫産業)。
慶應義塾大学SFC研究所上席所員/日本大学大学院芸術学研究科博士後期課程 在籍中
幼少の頃より生き物をこよなく愛し、自宅でネズミ、タランチュラ、フクロモモンガ、イモリ、ドジョウなど様々な生き物の飼育経験がある。これまでに『恋する昆虫図鑑~ムシとヒトの恋愛戦略~』(文藝春秋)、『LIFE―人間が知らない生き方』(文響社)などを出版。またTBS「世界ふしぎ発見!」のミステリーハンター、NTV「嗚呼!!みんなの動物園」動物調査員など、テレビやラジオでも活動。コラム連載や講演会も積極的に取り組んでいる。

私には親しいラブラドール・レトリバーがいる。種こそ違うけれど、妹だと思っている。被毛の色は白に近いクリーム色で、耳のところでインクが足りなくなったように薄い斑模様があって、大型犬にしては小さく、ずんぐりとした安定感のある体つきをしている。名前はむぎである。

今回、「犬と冒険」というテーマを頂いて、考えたが、むぎは、冒険向きじゃないと思う。極度の寂しがりだからだ。もうすぐ4歳になるというのに生まれてから6時間以上ひとりになったことはないんじゃないだろうか。

今度、父と母と弟で旅行に行くにあたり、ペットホテルの預かり練習を始めたところ、今後の状況によってはお預かりできないという。
ペットホテルの人は言いにくそうに口を開くと、
「とっても良い子なんですけど、ひとりになるとお声が出てしまうので……。」
といったそうだ。

むぎは、寂しいとなく。つまらなくてもなく。トイレを覚えるのが遅くて、失敗して汚れた床を自分で拭いたりする歪な賢さを持った変わった犬である。

ドッグランに行っても周囲の犬との距離の取り方が特徴的で、集団に入れずに遠巻きに見ているかと思えば、突如スイッチが入ってちょっと引くようなテンションでまとわりついてしまうこともあるが、どちらかといえば犬より人が好き。

常々、むぎが犬でよかった。彼女の今後に就学や就職が存在しなくてよかった。人間に生まれていたらどうなっていたことか、と心から思い、犬に生まれてよかったねと声をかけていたのだが、筆者の小さい頃にそっくりというのが、他の家族の評である。

離れた物はよく見ることができる目も自分自身についてはよくわからないものであることを喩えた「近くて見えぬはまつ毛」ということわざがあるが、この犬は私にとって、抜け落ちたまつ毛のように私自身の姿を見せてくれるのかもしれない。

私たちの間にはいくつもの共通点がある。冒険向きじゃないところも一緒だ。寒い日には外に出たくないし、雨の中も気が乗らない。

昆虫オタクだし、ミステリーハンターとして、世界中に巡っているので、よく誤解されるが、私は外に出るのが好きじゃない。ただ、家以外は全部一緒だから、南米でも池袋でも外は外で変わらないと思っているだけだ。

銀座の一流レストランで会食の予定が入っているのも、コスタリカで大きくて爽やかな味のする野草を勧められているのも、どっちも同じ外での食事だと思っている。そして、会社で会議をしているよりもジャングルで動物を探すことの方がまだ得意だったから今に至っている。

冒険好きという誤解を解くべく、試しに冒険を辞書でひいてみたら、次のような文言で説明されていた。「危険を冒して行うこと。成否の確実でない事をあえて行うこと。また、そのさま。」

思っていた定義と少し違って拍子抜けした。

それならば、話は違う。正否の確実でない事をあえて行うことにかけては、むぎは他の追随を許さないと思う。

冒険は自分の中にあるのだ。逆に言えば、自分の中にしかない。

冒険とは、誰より遠くに行くことではない。ヘリコプターでしか行けないジャングルに行くことでも、ガラガラヘビのいる湿原に行くことでも、知らない海の底に潜ることでもないのだ。

冒険とは無理だと諦める自分を乗り越えることだ。

むぎは絶対に諦めない。家に遊んでほしい人がいれば、遊んでくれるまで執拗に追い回す。公園で褒めて欲しければ、頑として動かず、いくらでも待ち続ける。

この犬のように生きたら、どれほど人生が豊かになるだろうと本気で思うことがある。

では、何故、思っているだけで終わらせているのかと言えば、人間の中ではなかなか褒められる方である私の冒険心がこの犬にはいくらか及ばないからだと思う。

まだむぎが子犬の頃の思い出がある。むぎは、外に出て遊びたいけれど、閉められるケージのドアを怖がっていた。

むぎは冒険家であるが、同じくらい用心深く、怖がりだ。壁を這う虫に向かって吠えることしかしないし、初めて食べるものは何度も口から出して確認するし、自分より遥か小さいチワワに吠えられても落ち込む。

恐怖は感じないものの前には、真に存在していないが、存在していることに気づいた者の前には、いつまでも立ち塞がり、重さを持つ。それでも、ある日、むぎは恐怖を明確に感じながらも、それに打ち勝った。

まだよちよちとした足取りの嘘みたいに可愛らしい子犬がぎゅっと目を瞑り、ドアの前を突っ切って外に走り出たのを見て、あまりの勇敢さに愛おしさで胸が締め付けられた覚えている。

大袈裟な表現ではなく、いまだにこの話をすると、子犬の勇気という眩しさでいつでも泣ける。私の人生が終わる時、この生涯で見た最も美しい記憶がいくつか、キラキラの結晶になって走馬灯として駆け巡るとしたら、あの勇敢な子犬の顔は間違いなく入るだろう。

成否が不確実であるほど、挑戦には不安が伴う。けれど、不安で足元がぐらつく時、あの表情を思い出すと、私も恐怖心を乗り越えようという勇気が湧く。

地球の空気を吸い始めてわずか3ヶ月ばかりの、あの可愛いむぎが目を瞑ってしまうほど怖い気持ちに打ち勝って自分の望みを叶えたことを思うと、すくんで立ち止まった足をもう一歩進める気になるのだ。

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執筆:篠原かをり